寄稿


Wants, Needs and Passion

松風 里栄子
サッポロホールディングス株式会社 取締役
株式会社センシングアジア 代表取締役

㈱博報堂、㈱博報堂コンサルティングを経て㈱センシングアジア創業、2016 年ポッカサッポロフード&ビバレッジ㈱、2018年からPokka Pte. Ltd のグループCEOとしてシンガポールに在住、経営再建しつつ60か国以上をマネージ。2022年日本に帰国し現職。ターンアラウンド、M&A、グローバルマーケティング分野で豊富な経験を持つ。

「欲」の無い人生って想像できますか?

 欲は広い概念ではありますが根幹にあるのは欲する心、“Wants”であり、人生をドライブする役割でもあります。本稿では、欲にまつわる概念をWants, Needs, そして、Passion という心持ちから掘り下げていきたいと考えます。
 欲の対極概念としてよく“吾唯足知(われ、ただたるをしる)”という言葉が例にあげられます。足ることを知る心こそが、豊かさである、という禅語です。千利休も知足安分という概念を提唱し、必要な分を必要なだけ用意して、茶をたて、まず仏にそして人に差し上げて残った分を自分がいただくという精神を唱えました。これは“Needs”として欲の傍にあり、知足という警鐘を過度なWantsに鳴らしている、とも解釈できます。
 ただそれこそ幼いころから知足の心持ちで人生を送っている人はいるでしょうか?色々なWantsがあって初めてこの境地に行きつくのではないか、と思うのです。
 私はまだ知足の境地には程遠いのですが、良い機会ですので私自身の人生を、“欲”にまつわる概念から振返ってみたいと思います。

私的Wantsが欲の中心であった学生時代

 小学生のころ、一人っ子であった私は友達に好かれたい欲求がありました。放課後に友達とドッジボールをしたり、当時はやっていたゴム飛びをしたり。またお稽古事で集まっておしゃべりしたり、ということが楽しくて家にいることが非常に少なかったような記憶があります。
 中高生の頃、通っていた学校が私服だったこともあり、物欲が高くなりました。周りと競い合うように、中高生には高かったであろう洋服やバッグなどを親にねだったものです。交換留学で過ごしたアメリカですら、何を着てどう見えるかに気持ちが行き、見栄欲が一番高かった頃でした。本来学習欲にプライオリティをおいてほしかった親とはよく喧嘩をしたものです。
 大学生の頃は“仲間の輪の中心でありたい欲求”が強く、勉強もそのためにしたり、スキーの同好会活動やコンパやパーティなど、そして続けていたお茶のお稽古もお茶会などの場が増えて、やはり輪の中心になれる場所に出歩いていました。
 こう振り返ると欲は欲でも“Wants”に類型される私欲に動かされてきた学生時代で情けなくもあり、一方何かを貪欲に追及するというような突き動かされる欲には巡り合えていませんでした。

WantsとNeedsが交錯して近づく

 就職して実家があった京都を離れ、東京で一人暮らしをするようになり、その直後に父が亡くなって精神的な変化が重なりました。物欲などは相変わらず時として頭をもたげてきたものの、“Wants” 型私欲の感情が少しずつ薄れてきたように思います。仕事に活かせる知識をつけたい、多様な経験を積みたい、仕事の上で価値を出したい、ステップアップしたいといった、「社会の中での自分」というNeeds起点の欲が徐々に生まれました。一方で結婚などのライフイベント、家族関係とのバランスの中で、仕事や社会における自分のNeedsとうまく付き合うのが難しいと感じた局面が何度もありました。当時は“欲”という観点から自分自身を見つめることはありませんでしたが、いくつかの転機はサブプライムローン/リーマンショック、また東日本大震災といった経済的社会的イベント/災害であったことは確かです。マネーキャピタリズムと一線を画したいという思いを強くし、また震災の中で本当に欲しいもの、人生に必要なものを見つめなおす気持ちになりました。改めて“欲”という視点で振り返ると、これらの転機を経て自分の中での“Needs”と“Wants”が近くなったのではないかと考えます。
 そんなこともあり、2014年に当時勤めていた会社を辞めて起業し、またその後現在役員をしている会社に参画しました。

私欲を超えるPassion

 2018年から昨年まではシンガポールに駐在し、飲料関係の事業会社海外HQのトップとして事業の立て直しにあたりました。この時にNeeds やWantsを超えて、Passionに突き動かされる経験をしました。会社再建の中で驚きの事実が次々と浮かび上がったのですが、一生懸命働いている現場社員の顔を毎日見るたびに、“彼ら彼女らのためにやり抜くのだ、という気持ちに素直になれました。Wants型の私欲が(一時的に、ではありますが)一切出てこなかったのは自分でも意外でした。再建の道筋が見えた直後にコロナ禍になり、単身赴任であったので、良くも悪くも家で一人で過ごす多くの時間ができました。そこで学習欲が沸き起こり、中国語、コーチングなど熱意をもって楽しく取り組みました。ただ会社再建やコロナ禍といった局面はいつか終わりを迎えるわけで、諸々落ち着きだすと昔のような形ではありませんがやはり私欲が顔を出してくるのを感じます。
 人生も後半に入り、昔あったような物欲や見栄などの欲はもう無いのですが、今は知的欲求を満たしたいという気持ちが大きくなってきています。年をとってから新たに実践的に学ぶ喜びがあり、茶道の世界でも禅語の意味を掘り下げること、陶磁器の歴史や蘊蓄、懐石料理を学んで創ること、茶花の手入れを学んで育てること、など精神的に豊かになれる瞬間が増えました。WantsとPassionの交点にあるような欲求なのかなと感じています。
 仕事やキャリアの可能性についてはNeedsとWantsが未だ交錯していて、それらが上手く満たされない時のフラストレーションも感じますが、改めてNeeds、Wants、Passionと自分の気持ちを分類してみると、整理がつくものもあるのだなと今回感じた次第です。

知足への道

 とは言え未だ“吾唯足知”の境地には程遠く、まだまだたくさんの欲に動かされてエネルギーをもらい、日々生きているとも思います。Wantsだけが突出するのではなく、NeedsやPassionとバランスをとりながら、自分なりの知足の道を歩いていきたい。欲と仲良く生きていきたい、と思うのです。