第41回 トイレ革命に見る
新生活文化と新産業の創造

大坪檀のマーケティング見・聞・録

 令和6年能登半島地震で被害者がトイレに苦労しているレポートがたびたび登場。ポータブルトイレや防災用トイレが話題になった。水道が使用できなくて水洗便所も使用できないというニュース。一方で、外国人観光客がコロナ禍前の記録を破る勢いで来日、日本文化の評判をリポートするものの中でトイレに言及するものが目に付く。日本のトイレがきれいで機能的、ウォシュレットにはびっくり。公衆トイレは無料でキレイ、そして安全だと国際的な評価は高い。

 そんなお褒めの言葉で、30年ほど前に小中学生向けの野外宿泊施設の再建計画に関する会議で話題になったテーマを思い出す。トイレだ。ボットン式の日本式トイレは嫌だ、あんなトイレの宿泊施設には行きたくないという青少年のブーイングの声。しばらく前までは大便用のトイレは日本式が中心だった。かなり昔のことになるが都民の大便等を海洋廃棄するために多数の運搬船が毎日東京湾を行き来したものだった。地方に行くと汲み取り業者が各家庭を回って汚物を回収していた。
 戦後間もない頃、ブリヂストンは日本各地に新工場を建設したが、同時に従業員用の社宅、寮を併設した。その時、創業者の石橋正二郎は社宅、寮には従来の日本式トイレは使い勝手が悪く不便、健康にもよくないからと西洋式トイレを採用するよう指示した。工場従業員の多くは地方出身者で西洋式トイレには非常に戸惑った。石橋さんはそれでも計画を変更しなかった。会社事務所はもとより社宅や寮、保養所までトイレを西洋式にするよう指示、トイレの西洋化を推進した。戦前からホテルや一部のオフィスビルには西洋式トイレが設置されていた。一部の富裕層や西洋式生活にあこがれていた人はかなり昔から西洋式トイレを自宅で使用していた。石橋さんもその一人で、西洋式トイレの機能性を評価し、従業員にもそのよさを知ってもらいたいと思ったのだろう。
 失われた30年、と日本の経済力低下を嘆く声がよく聞かれるが、この30年間で日本のトイレ事情は激変、外国人観光客が褒めそやす新トイレ文化を作り上げた。西洋式トイレ革新を日本にもたらした人は大倉和親、TOTOの初代社長だ。西洋式トイレを経験し日本での普及に心血を注いだ。TOTOはウォシュレットを開発。トイレ革命のリーダーとなった。1964年の東京オリンピックと住宅公団の西洋式トイレの採用が西洋式トイレを日本に普及させる大きな原動力となった。TOTOに加え、LIXILやパナソニックもトイレ革命の推進に加わり、日本のトイレ文化は今や世界から注目されるものともなった。中国やインドでもトイレ革命が進行し、日本のトイレメーカーはトイレ革新で多くの国の人の生活水準の向上に大きな先駆的な役割を果たしているといってよい。
 新トイレ文化はいろいろな副産物も生み出した。その代表がチリ紙。チリ紙はトイレットペーパーとティッシュを生み出した。マーケティングの分野ではティッシュが広告媒体として広く活用され、日本独特のマーケティングツールとし存在するようになった。
 高齢化社会の進展で今特に求められるのが介護老人向けの革新的なトイレの開発だ。筆者の関係するプロジェクトでは、“3歩の住まい”と呼ぶプロジェクトが進行中。要介護老人がベッドから3歩以内ならトイレも含め何とか自分のことは自分で始末できる仕組みづくりを、という声で誕生したものだ。トイレに行けなくなったらどうするか。“3歩の住まい”にはロボットや先端的な情報システムも登場し、患者の生活を支える様々な気配り、配慮がされており、トイレは洋式トイレでベッドから3歩離れた別室に設置されている。
 寝たきりの要介護者にはおむつを使用するのだそうだ。ベッドで寝たままでトイレができないか。新幹線などで見られ誘引式のもので処理できないかとかいろいろアイデアが登場。防災用のトイレには介護用に応用できそうなものもある。固形化剤や脱臭材を利用するもの、それにウォーターレスのトイレも。次なる社会にはトイレのない生活文化が出現するかもしれない。能登半島地震のような災害時、緊急時にはトイレがなくても済ませる生活があってもよい。
 夢と知恵、技術革新、チャレンジ精神を手に生活水準の高度化を追求すると従来型の生活文化は影を失い、革新的な生活文化、新産業が生まれる。健康長寿、人口減少は新生活文化をこの日本に多々誕生させる起爆剤だ。この30年余に生み出した新トイレ産業をモデルに、産業人、マーケターは新生活文化と新産業の創造にチャレンジすることが求められる。

Text  大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 特別教授