第35 回
世界に通用する農業ブランドの
構築を先導せよ

大坪檀のマーケティング見・聞・録

国の基本は農業にありという思想、食料安保に対する懸念が日本人の心の底に深く根ついていて、農業の保護、育成には寛容だった。この狭い国土、多角的な努力にもかかわらず、食料自給率は38%、先進国の中で最低だ。

 農業従事者の高齢化、後継者難、農業従事者の減少、耕作放棄農地の拡大、米を含め農産物需要は減少。昭和37年の一人当たりのコメの年間消費量118kgをピークに令和2年度には50.8kgと半減、米食は1日308gでご飯茶碗2杯程度という。今や農業は儲からない、所得の低い低成長産業になってしまったというイメージが一般に強い。ある農協で東京の結婚適齢期の女性を招いて婚活をしたら、出てきた質問が年収。年収が500万以下では都会の女性には魅力がないと、冷たくあしらわれたという。
 この日本の農業、ビジネスとして捉えるとドッコイ“ピンチはチャンス”、今有望な成長産業になりつつあるのだ。耕作放棄農地を集めて農業の大型化→法人化し、ビジネスとして農業に取り組む新型の農業ビジネスパーソンが出現。年間1億円以上の規模を手にする人も筆者の周りに出現。静岡県には5億円以上の売り上げのある農業経営体が850以上もあると報告されている。高齢化で農業従事者が減少→農業人口が相対的に縮小→農産物全体の出荷額はこのところ横ばい→農業従事者一人当たりの所得は年間500万円も射程距離内となり、上述婚活対象者は“年収500万”の言葉ににやりと答え得るような農家も増加の一途だという。
 筆者が教壇に立っていた頃、中国の学生がお土産に米とラーメンを買って帰り父母を喜ばせたと何回も言われたことがある。アメリカのマーケティングの学者グループをスーパーに案内し聞かされた言葉は「日本の野菜や果物は芸術品みたいだ。イチゴ、ミカン、メロン、梨、リンゴ、ブドウ、賞味してこんな果物を日本人は毎日食べているのか」と怪訝な顔をされたことを思い出す。筆者の留学時代、アメリカではすでに神戸牛が話題になっていた。日本の神戸牛がうまいのはビールを飲ませ体をさすって育てるからという話がまことしやかにアメリカ人のグルメの間で語られていた。生で食べられる日本の鶏卵にも海外のグルメが注目、高品質で金のタマゴだなどと珍重されるのだという声も聞く。日本の農業は気がついてみたら高品質、高付加価値の農産物を製造する一大成長産業になりつつあるのだ。
 人口減少の時代、国内の農産物の市場規模は縮小するが、高付加価値農産物を求める市場はこれからますます拡大する。日本で増加しているのは富裕層。富裕層の人々にはグルメと呼ばれる人々が大勢いる。うまいものにお金は惜しまない。東京は世界第2の富裕層市場。静岡で高級ピーナツバターを開発した農業起業家が「東京には高級食材を待ち受けている、価格にこだわらない大きな富裕層市場が存在し、マーケティング次第で高級食材の将来は明るい」と言う。高級食材に関心が高いのは日本の富裕層だけではない。欧米の先進国やアジア、とりわけ香港、シンガポール、上海など中国の大都市に誕生した富裕層だ。富裕層、グルメ好きは世界中に存在する。海外からの観光客の多くは日本食を味わうことに喜びを感じる。日本の食材市場の未来は明るい、とてつもなく大きいものだと言ってよい。
 農水省が発表する農水産物の統計数値を見ると、円安と現地物価の高騰もあって農水産物の輸出はうなぎ上り。2022年の農産物輸出は8,870億円。国際競争力がないと思い込んでいた日本の農業が急成長を始めた。
 日本のマーケターが腕を振るう出番だ。日本の農業のグローバル化が始まった。世界市場でビジネスを展開するには日本のマーケターの力が不可欠だ。高品質、高付加価値を売り物にするブランドづくり、世界の人が口にするブランド構築がまず大きな課題だ。産地名や商品名、生産者名を超えたブランド構築には深堀の戦略と長年の投資、努力が必要で、戦後の自動車メーカーが世界市場に打って出た背景には世界一流品を想起、選択させるブランドづくりに挑戦したマーケターの働きがあった。“日本製の自動車をと顧客は言わない。レクサスが欲しい”と言わせるようになった.地産地消、保護政策、プロダクトアウト的色彩の濃い農業から高付加価値、儲かる農業ビジネスに転換するには今マーケターの先導的な力、積極的な活動が必要だ。

Text  大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 所長