特集


人を引き上げ、
新しいことに挑み続ける

by 丹羽 多聞アンドリウ 氏

 ドラマ1,500作以上、映画30本、舞台80作以上をプロデュースし、宮﨑あおい、堀北真希、夏帆、大政絢などの俳優を発掘し、監督や脚本家などの教え子を輩出。当業界でアンドリウチルドレンと呼ばれる人々を育てた名プロデューサー・丹羽多聞アンドリウ氏に、感動業の戦略、そして人・組織と行動についての本質論をうかがいました。

①舞台はファンの気持ちをつかみ、
リピーターを獲得

何度も来たくなる舞台にする

丹羽 舞台は、リピーターが大事です。2.5次元は1日2回公演で、アイドルの舞台は1日2〜3回です。さすがに全部行くのは大変ですが、何度も来ていただける作り方をしています。

*2.5次元:マンガやアニメなど2次元の世界を3次元の人間が演じる空間を指すことが多い。

─ ─ 何度も来たくなる作りとは。

丹羽 推し活という言葉がありますが、舞台は「推し」が要ります。私の場合は、推しメンや推しアイドルを使います。女性はハロー!プロジェクト、男性はBOYS AND MENなどです。そして、何度も来て良かったというところを作ります。例えば日替わりの舞台、この日しか見ることができない点を私は3か所くらい作るようにしています。また、コンサートは何回でも見ることができますが、私の舞台は音楽を多用し、2時間で18〜22曲を歌うこともあります。舞台を何度見ても飽きないように、かつ最後に感動を与えることに注力しています。
 映画やドラマは当たったときに広がり、1億円で作ったものが10億円になることもありますが、劇場はそうはいかない。レストランは単価×回転数ですが、劇場は同じくハコのビジネスです。だから、お客様アンケートで何回目かを調べます。もう一度来たい、つまりリピーターをつかむことは、レストランも美術館も劇場も大事です。宝塚も劇団四季もリピーターが支えています。例えば、本日の半券を見せればチケットが安く買えるリピーター割引はよく行います。感動プラスリピートです。チケット代も、コロナのせいで私の舞台も以前の6〜7千円から、8千〜1万2千円ほどに値上がりしました。なおのこと、お客様の満足度を上げ、感動やリピートして良かったと思わせる作り方が大切です。

─ ─ お客様の感じることや満足は様々なものの組み合わせであり、それをデザインすることが大切なのですね。

丹羽 舞台の場合、まず問題なのは、お客様の気持ちがわかっていないことです。また、いいものを作れば客は付いてくるという芸術家肌の人がいます。そして特に舞台においては、数字が読めない人が意外といます。会計がわからなくて、好きなものを作り、赤字でしたと平気でいうのです。しかし、お客様を見ながら、かつ芸術家でいることが必要なのです。
 劇場や映画館のチケットを買うのは能動的です。ふらっと入る人はなかなかいません。お客様にアクションを起こさせるような仕組み、そしてリピーターを作ることです。宝塚はファンをがっかりさせないような作り方をして、永遠の宝塚ファンを育んでいるわけです。
 私は、演劇女子部(ハロー!プロジェクト所属のタレントが出演する舞台作品シリーズ)などの舞台やミュージカルなどを手掛けているうちに、ファンはこういったところが好きだろうということがわかってきました。

─ ─ ファンの気持ちは、どのようにしてわかるのですか。

丹羽 アンケートは全部見ています。昔は紙のアンケートでしたが、今は電子でも取れます。本当に全部見て、批判も含め、きちんと真摯に受け止めます。面白くない、感動させられないと、次は来ないということを気にしています。書かれた通りにはしませんが、やはりユーザーが欲しい何を提供するかは大事です。舞台の場合は、同じ回に何度も来たくなる、次のシリーズも見たくなるようにすることです。

②枠を飛び越える
テレビ事業戦略

ベンチャー的なBSで自由に新しいことを

丹羽 ドラマ希望で入社しましたが、地上波のドラマのプロデューサーを経験した後に地上波の編成に行って、そのときの編成部長に次はBSと希望を出しました。そして、2002年にBS-TBSに異動しました。当時のBSはまだ普及しておらずほとんど見られていなくて誰も配属を希望していなかったのですが、そういうところのほうが自由にものを作れるかなと思って飛び込みました。
 当時、BSは受像機が少な過ぎて、視聴率が表に出ていませんでした。今から70年前にテレビ開局のとき、局員はテレビが高過ぎて買えなかったそうですが、私も20万円出して、BSチューナーの入ったブラウン管テレビを買いました。BSは、高過ぎて受像機が普及せず、当初の計画通りにならず、今では信じられないくらいの赤字会社でした。お金がないのでどこも制作費がどんどん削られていました。
 あるとき上司の編成部長が、「多聞がせっかくドラマ担当で来てくれたが、もうお金がなく、スポンサーも下りるといっているので、ドラマを作れないかもしれない」というのです。私は、「それは嫌だ、どうしたらいいですか」というと、スポンサーがいればいいというので、私が自らスポンサーを口説いて、ドラマを作り続けました。これがいい経験になりました。普通のテレビ局員は、制作と編成と営業がばらばらですが、この3つを自分でやったのです。
 1人3役をすることで、BS-TBSをそのまま背負って会社を代表して話ができました。BSは小さくても全国放送です。しかもBSの成長につれて、自分の手掛けた仕事の評価も徐々に上がっていきました。このことは人脈形成にも役立ち、今も各社トップの方々と結構つながっています。鶏口牛後といいますが、1,500人の大企業から40人ほどのベンチャー企業だったBS-TBSに来たら、当時の上司は理解があり何でもやらせてくれて、自分の成長になりました。

─ ─ そして、丹羽さんの代表作の一つ、『ケータイ刑事』が生まれたのですね。

*『ケータイ刑事』:2002〜2011年、BS-TBSで放送のドラマシリーズ。宮﨑あおい、堀北真希らを輩出し、地上波での再放送はもちろん、DVDや映画など商業的成功を収めた。

丹羽 それまでのBS作品は、地上波で主役になれなかったような人を使ったわけですが、私は初めから新人を抜てきしました。今でも覚えているのは、『ケータイ刑事』を宮﨑あおいさん主役でドコモに提案しようとしたら、BSの営業から、そんな新人俳優は誰も知らないのでクライアントを口説けないといわれ、私がプレゼンすることになったことです。「宮﨑あおいさんはドコモ四国のCMに出ていますよ」と推したところ、「本当だ、よしやろう」ということになりました。私は、一度もおべっかを使わないのですが、自分の信念でこの女優は必ず売れますといったらドコモの皆さんも信頼してくださいました。
 そのとき、ドコモの広告担当者に他に何かありませんかといわれて思いつきで提案したのですが、ドラマの視聴者にアドレスと属性を登録してもらい、番組内で事件発生の入電と同時に視聴者にもメールが来るという連動企画を日本初でやりました。
 私は領空侵犯といっていますが、枠を飛び越えなければ良いもの、新しいものはできない。スポンサーと直に話をすると営業に嫌われますが、私の少々変わったところのある人柄で許されていたのかもしれませんが、当時のBSの社長がイケイケの方で彼のサポートがあり、いろいろな実験的なことができました。こうした理解ある上司がいなければ新規事業はできません。

BS連続ドラマの新たなビジネスモデル

丹羽 テレビの連続ドラマの視聴率は、例えばTBS『高校教師』は時間の経過とともにだんだん数字が上がって最後に30パーセントを超しましたが、多くの場合は初め話題になりますが、時間の経過とともにだんだん下がってきます。ところが、『水戸黄門』などはコアファンがいて、横一直線です。話題になるかならないかでなく、『水戸黄門』は固定客がいます。『ケータイ刑事』は、水戸黄門がたまたま女子高生で、悪事を働く者を懲らしめるというドラマです。そして、連続ドラマの場合は、1話を観て、2話を観て、3話を観るということです。やはり、リピーター、同じ客をどう惹きつけるかがとても大切です。だから8代目まで続けられたのです。

─ ─ 開局当時はBSの受像機の問題もあり、視聴者の数はまだ少ない。どういうビジネスモデルにしたのですか。

丹羽 私はDVDを売ろうと考えました。最初の『ケータイ刑事』のDVDBOXは1万円の価格でしたが、その商品をなんと1万人ものファンが買ってくれました。その後DVDは8代目までのシリーズ総計で10億円を超すビジネスとなりました。当然売れる仕掛けを作ったからです。当時、地上波のドラマでは、ナビ番組といって、新番組が始まる前に30分の紹介番組を作って、それをDVDの特典に付けていました。私は、メイキングのディレクターを1人雇って、『ケータイ刑事』の全話に1話につき10分のメイキングを付けました。これがファンに刺さったため、DVDが周囲の予想を超えてヒットしました。
 地上波では放送と事業が分かれていますが、当時のBSではDVDやVHSを作って出す場合、販売会社へも自分で交渉します。当初は、こんな特典があるから売ってくれといっても大抵の販売会社に断られました。しかし何とか、ハピネットという会社に引き受けてもらえました。すると、宮﨑あおいさんのブレイクと重なり、『ケータイ刑事』は大きな利益を上げました。ちなみにもう一つの私の代表作『怪談新耳袋』もDVD/VHS売上は8億円後半なので、番組販売を入れるとかなりの金額です。DVDがTSUTAYAに並び、さらに専用の棚ができる。すると、主役が売れ出し、当初はBSなんかといって出なかった人たちも出演したいといってくれるようになり、全部良いほうに向かいます。

*『怪談新耳袋(しんみみぶくろ)』:1話5分のショートホラー。世界23か国で放送され、映画版も世界配給されるロングセラー。10年振りに今年『怪談新耳袋 暗黒』と題して放送が始まった。

─ ─ そういう意味では、運も必要ですね。

丹羽 そうです、運を引き寄せる能力です。当たって利益を出すことです。利益は文句をいわせません。『ケータイ刑事』で主役をやっていた男性の俳優さんばかり選んだのですが、『ケータイ刑事』は業界視聴率が高いので、出演するとCMが増えます。ギャラが安い分はCMで稼いでもらいました。

③人を見出し、
人を育てる

人を引き上げる

丹羽 私の祖父は丹羽文雄という小説家で、若い作家を育てました。吉村昭さんや新田次郎さん、瀬戸内寂聴さん、津村節子さんなどです。それを見ていたので、私もこういう人になりたいと思っていました。祖母に聞いた話では、祖父は私財を投げ打って同人誌を何十年も作り続けました。それでビルを2棟買えたほどだということです。しかし、私は財がないので、会社のお金を遣って新人を育てています。

─ ─ 人を育てることに注力するきっかけはありましたか。

丹羽 1995年に、先輩のプロデューサーが穴を開けそうなので用意しておけと、当時の部長にいわれました。『理想の上司』という長塚京三さん主演のドラマを編成に持ち込むと、長塚さんは主役をやったことがないから伝統ある東芝日曜劇場の主役にはできないというのです。それでも、「私の初プロデュースする連続ドラマはあなたでやりたいと長塚さんに話した。ダメなら私は下りる」と言いました。会社としては穴が開くと困るので、ドラマ統括と編成部長が来て、「おまえのいうとおりやらせてやる。ただし・・・」といろいろと条件を付けられました。しかし、実は裏でドラマ部長が、「若い多聞にやらせてやれ。俺が責任を取る」といってくれていたのです。このドラマは4月の連続ドラマのうち、TBSで視聴率が一番となり、かつ右肩上がりで、ビギナーズラックですが好結果になりました。
 主役が決まったときに、私は長塚さんに呼ばれて、「私は単館系の映画の主役をしたことはあるけれども、50歳で初めて連ドラの主役をやる」とお礼をいわれました。それから誰も予想していなかったドラマのブレイクの後、「多聞さん、プロデューサーは徳のある仕事ですね」といわれました。
 このとき、祖父のように、私は人を引き上げようと決めました。必ず連ドラで主役か脇役を引き上げる。監督、脚本家、そしてカメラマンも照明のアシスタントも。何か言われても「俺がいいって言っているからいいんだ」と。私の中では、一つの連ドラで3人引き上げると。
 何が起きたかというと、『ケータイ刑事』の制作をやっていた木下プロダクション(後に合併しドリマックス、その後TBSスパークルに名称変更)のオフィスに行くと、全社員から感謝の辞をいただきました。一緒に良い仕事を成し遂げると、その人たちは感謝してくれます。若い社員たちは引き上げてくれる人についていくものです。その後、TBSの若手社員もとにかくディレクターデビューしたければ僕のところに来る。今の40代半ば〜50代位のTBSグループのほとんどのディレクターが、私の下でデビューしてきた人です。人を育てる視点で作ると、その人のモチベーションも上がり、良いものができると思います。

反対されても抜擢・登用

─ ─ 新人を使うときは反対もあったかと。

丹羽 新人を主役に使うのは会社で反対されました。『ケータイ刑事』で宮﨑あおいさんを反対され、2代目の堀北真希さんも反対され、4代目の夏帆さんのとき、それまで高校生の設定だったのに、なぜ中学生かと反対されました。ところが夏帆さんも売れるともう誰も何もいわなくなりました。
 編成や営業が反対するのは仕方ありません。前例がない、スポンサーを口説けないということです。例えば、この本は何十万部売れたから、これを原作でやりますという保証が欲しいのです。これもテレビがつまらなくなっている原因の一つです。『ケータイ刑事』は、既成概念をひっくり返すことの繰り返しでした。反対を跳ね除けて、突破したゆえの成功だと思います。
 BSに来た時、初めは出演依頼しても多くの芸能事務所に断られました。開局間もないBSの影響力を考えると仕方のないことかもしれませんが、そんな困っていたときに、私との人間関係だけで付き合ってくれた芸能事務所が17社ありました。今も基本は各事務所とは全方位外交ですが、このとき助けてくれた17の事務所には優先してキャスティング情報をお伝えしております。
 今年7月放送開始の『怪談新耳袋』もネクストブレイクの俳優さんを抜擢しております。『ケータイ刑事』で6代目以降の大政絢さんや岡本あずささんらの新人主役が発表されたときも反響が大きく、ヤフートップニュースに出るほど周囲の期待が目立ちました。今回の『怪談新耳袋』も、ほとんど新人で初主役です。この子たちは売れます。

─ ─ 監督さんやいろいろな方も登用されています。

丹羽 数日前、たまたま保坂大輔さんという映画監督に道でばったり会いました。その後メールが来て、「多聞さんは私にとって父です」というのです。役者だけでなく、映画監督、脚本家、プロデューサーなど様々な人とお仕事をさせていただき、結果成功を収めることができた方々がたくさんいらっしゃいます。すると、多聞さんと仕事がしたい、という人が社内外から続々と現れます。今回のドラマでも私と仕事したいと社内で手を挙げた2人の若手が、「多聞さんとずっと仕事をしたいと思っていたので、やらせてください」といってきました。
 まるで育成学校のようで、業界では私が育てた人たちは、誰がいい出したかわかりませんが、「アンドリウチルドレン」と呼ばれています。多聞さんはお父さんみたいなものだといってくれる社内の人もいます。それから、以前にBSアカデミーというエンタテインメントの創り方のスクールをやったのですが、またやろうと考えています。

─ ─ 金の卵はどのように選別するのですか。

丹羽 俳優ですが多くの場合、ディレクターは芝居が上手いかを見ます。プロデューサーは、この役に合っているかなどを見ます。芝居が上手く役に合っている、この二つに、私は華とかオーラを加えた3次元です。それがない子は主役になれません。

─ ─ オーラはどのようにして見るのですか。

丹羽 説明できません。役者はオーラですが、クリエイターはオリジナリティです。監督を使うときは作品を見ますし、話をして本質を突いている人だけ選びます。監督にしろ脚本家にしろクリエイターは執念とか、何をしたいかです。何かの企画のパクリになるような仕事をする人は要りません。

④新しいものを吸収し、
打席に立ち続ける

よく学び、よく行動する

─ ─ 既存の成功作を学んである程度のプロダクトを作るということと、他の作品からヒントを得て新しいものを作るということは、似て非なるものです。

丹羽 例えば韓国のこのドラマのようにやろうと真似しても、しょせん亜流にしかならないと思います。視聴率や売上を考えると、多くの人はそちらの方に動いてしまうでしょう。しかし、オリジナリティがないと感動するものを作ることは難しい。すべての話は21パターンに集約されるとも言いますが、それをどう掛け合わせるかです。
 私は基本的にオリジナルです。戦略的に出版社と組むことはありますが、一応オリジナルです。なお、私は怖がりなので、ホラーを作るときは原作を使います。原作ものは、いいものを膨らませるだけで麻痺してきて、作り手のレベルが下がります。だから私は、あえてゼロから作ります。それには、ゼロから作る脚本家と演出家を育てることです。

─ ─ 多聞さんはかなり勉強家ではありませんか。

丹羽 勉強はしています。私は、流行っているものは大体チェックします。やはり流行る理由があります。IVS(スタートアップのイベント)にも行きます。本も読みます。みなさん著者に会いに行くことは難しいと思っていますが、映画会社アスミック・エースの創業者・原正人さん(日本ヘラルド映画で洋画ヒット作を生み、『乱』『戦場のメリークリスマス』『失楽園』などをプロデュース)など何人も著者に会いに行きました。

─ ─ 世の中の変化に対応するためにどうされていますか。

丹羽 やはり情報収集と体験ではないでしょうか。私は最近、VTuberで演劇をしたのですが、こうすればいいと体験しなければわからないでしょう。授業料は高かったですが、1回やれば大体ミスはわかります。
 こうしてVTuberに興味ありと発言したり行動すると、大手企業から話しましょうと来ました。アメリカのベンチャー企業とも話しました。やれば人脈も広がります。評論家が多いようですが、やってみることです。

─ ─ 先駆けて新たなカメラの技術も採用されました。

丹羽 新しいものに興味を持ち、取り入れていかないとダメだと思っています。私は、プロデューサーは技術を知っていなければいけないと思っているので、最新のカメラなども全部見ています。『ケータイ刑事』は、プログレッシブ(解像度の高い鮮明な映像)で作った日本初の連続ドラマです。カメラの技術でフィルムの質感にして、映画的テイストにしようと考えました。その後、大河ドラマなどでも採用されるようになった技術です。しかし、当時のカメラだとファインダーにフリッカー(画面のちらつきやゆらぎ)が出てカメラマンはやりにくいといってくるのをとにかくやらせました。結局そのチームは、苦労してでもプログレッシブでドラマを作る経験を得られたのです。

─ ─ そのカメラマンの会社は、プログレッシブの先駆になって引く手あまたになったのですね。

丹羽 そうです。人間は、やはり楽をしたいので、前と同じでないことを嫌がります。常にルーティーンに従うのは違うと疑います。私は、常に新しいこと、何か違うことをやるので、恐らく面倒くさい人なのでしょう。

バッターボックスに立ち続ける

─ ─ 秋元康さんなどすごいヒットプロデューサーも3割バッター、つまりイチローの打率がせいぜいといわれていて、百発百中などあり得ないわけですね。

丹羽 皆、失敗について忘れるので、3割の成功しか覚えていません。私も、当たっていないものもたくさんありますが、皆、当たったことしか覚えていません。たくさんやらなければ当たらないので、やるべきです。成功体験がなければ始まりません。1回成功すればイーブンですが、成功したことがない人は評論家なのです。
 名医も、たくさん失敗したから名医になるそうです。まずバッターボックスに立つ、数をやるということです。私は、バッターボックスにたくさん立って成功することを、企業の皆さんにもお勧めします。

─ ─ 広告主に関してのアドバイスはありますか。

丹羽 データや前例などではなく、冒険しなければブレイクしません。当てようと思うなら、ある程度遊びを入れると良いでしょう。半分は安全志向で、半分はアクティブなことをやるという感じで、新しさのあるものをやるといいです。私に声を掛けてくれれば一緒に考えますよ。

─ ─ 本日はありがとうございました。

(Interviewer 本荘 修二 本誌編集委員)

丹羽多聞アンドリウ 語録

●「テレビは冒険だ!」
丹羽氏を代表する言葉。「冒険心を忘れたら何もできない。テレビ局にいたのでテレビが冒険で、もし映画会社にいたら映画が冒険になり、舞台もそうです」というモットー。
「ドラマ『ケータイ刑事』で「テレビは冒険だ!」という言い方を何度か使っていたら、ウチの美術が気を利かせて小さな旗を作りました。疲れたり、迷ったりしたとき、ふと目の前の旗を見て、いけない、冒険していないと自ら叱咤激励しました。会議でもこの旗を立てる。目の前に標語を置くのは結構大事です」(丹羽氏)。

●「I cannotは認めない」
「私はすべてI canで話します(法や安全・健康以外)。  I cannotは認めません。私は、舞台やドラマをするとき顔合わせで必ず「できないと言ってはダメです」「今から、皆さん、約束してくれますか」と言って、「ハイ」と言わせるのです。「言いましたね。約束です」と。そのようにマインドコントロールします。人間は単純で、言葉にしたことをやる。冒険だ!と思うと冒険するのです」(丹羽氏)。
例えば、ワンシーン・ワンカットで撮る企画を、「できない」とカメラマンが言うので、丹羽氏は技術会社に言って、そのカメラマンを外し、代わりに来たスポーツ系カメラマンが撮って傑作ができ、スタッフが感動して拍手が湧いて、泣きそうになる人もいたとか。

●「諦めない」
「トラブルがあっても私は諦めが悪く、じゃあどうできるかとバタバタします。普通の人にはこうする意味がわかりません。人間の脳のせいかもしれませんが、上も下も多くの人が諦めが悪いのを嫌うのです。しかし、「諦めるな」という数々の名言もあります。なぜ諦めてしまうのか私にはわからない」(丹羽氏)。
ちなみに、トラブルがないのは仕事をしていないからで、挑戦していればトラブルがあって当たり前とのこと。

若松孝二監督について

 丹羽氏のテレビ作品シリーズ『恋する日曜日』『東京少女』『ケータイ刑事 銭形命』などの監督を務めた、巨匠映画監督の若松孝二氏とのエピソードを紹介します。

─なぜ巨匠映画監督の若松さんは、丹羽さんのテレビ作品の仕事をしたのでしょう。 

丹羽 若松さんと飲んで口説くのです。若松さんが監督だと、こんな大物が撮るなら出たいという役者やADをしたいという人たちが続々と来ます。若松さんは好奇心旺盛で、表現者としてチャンスがあれば何でもしたい、永遠のクリエイターだと思います。そして、相性が良かったのでやり続けてくれたのでしょう。若松さんが私のドラマを撮ったら他の監督たちに、安い制作費のBSなんか撮って、とバカにされたそうですが、「私には丹羽さんという人がいて、使ってくれる。君たちには声が掛からないだろう」といい返したそうです。若松さんが亡くなったとき、葬式でフィルモグラフィーを見ると、作品数では私が一番多かったのです。

─若松監督が勝手に撮ることもあったとか。

丹羽 若松さんはそういう人でした。私と若松さんは信頼関係があるので、この人はここまでは勝手にやると許容していました。しかし、嫌だったら二度と仕事をしません。人間関係はキャッチボールだと思います。
 若松さんに、「多聞さん、あなたに言われたようにするけれども、私は好きにやっていて、あなたに踊らされているフリをしてる」といわれ、「はい、存じ上げています」と応えたことがあります。私も部下に対して、裏で私の耳に入ってくるけれども、見て見ぬふりをすることがあります(笑)。

─2012年に亡くなられましたが、特に学んだことを教えてください。

丹羽 もう時効だから話します。若松孝二さんに一度だけ監督を下りてもらったことがあります。急病で若松さんが病院に担ぎ込まれました。病室に呼ばれたらそこに主治医とお嬢さんがいて、私に「私は現場で死ぬ覚悟で、撮る。娘もいいといっている」というのです。そのとき、「申し訳ないが、あなたにそこで死なれると、スポンサーも私も困るので、できません。監督を変えさせてください」とお願いしました。そのとき、「(若松さんの2番弟子の有名な監督の)白石和彌さんと話をして、彼に監督させます」というと、非常に怒って、白石さんに電話して「おまえは破門だ」と。それから白石さんから電話があって、「どうする?」とたずねると、「やります。若松監督を尊敬しているので、若松さんの後始末は私がします」と。そして、『すてきな片想い』を撮ってくれました。
 若松さんをすごいと思うのは、病室で「俺が死んでもいいよな」と自分の命を懸けても引き受けた仕事をやろうとする。その後、退院した若松監督から、「あのとき怒鳴ったけれども悪かったね。私が病気になったのが悪かった」と。
 引き受けた仕事を降りる人はいますが、それはプロではないからです。若松さんから、プロは命を懸けてもやるというのを見習いました。はじめに断るならいいのですが、基本的に引き受けたらやる。私がこれだけ仕事をもらったのは、途中で断らなかったからです。

丹羽 多聞アンドリウ(にわ たもん あんどりう)
株式会社BS-TBS コンテンツ編成局 エグゼクティブ局長

東京都出身。1987年TBS入社。2002年よりBS-TBS。ドラマプロデュサーを経て、現在は映画・舞台・コンサート・イベントなどを手掛ける。ドラマ1,500作以上、映画30本、舞台80作以上をプロデュース。若手クリエーターや若手俳優を積極的に起用しており、その中には現在ブレイクした人が多い。宮﨑あおい、堀北真希、北乃きい、佐野岳、桜庭ななみなどは丹羽の作品でデビューしている。俳優にとどまらず、監督や脚本家などの教え子も業界で活躍している。プロデュース代表作は、『ケータイ刑事』シリーズ、『怪談新耳袋』シリーズなど。舞台『タイムリピート』『サユミンランドール』など。近畿大学客員教授。著作『エンターテインメントの創り方』(共著・映人社)。