特集


少子高齢化による労働力不足を乗り越える


労働供給制約社会の希望とイノベーション

INTERVIEW

古屋 星斗 氏
株式会社リクルート
リクルートワークス研究所 主任研究員

 日本は人口減少と高齢化が進む中、労働力の需要と供給のバランスが崩れる「労働供給制約社会」に突入すると、生活維持に必要なサービスの水準が低下し、社会的な危機を引き起こす可能性があります。しかし同時に、人間の活動や労働に対する考え方や価値観を変えるチャンスでもあると捉えることができます。日本だけでなく世界が直面する未来の課題に対する解決策やイノベーションの可能性について、リクルートワークス研究所にて、次世代社会のキャリア形成を研究する古屋氏に話を伺いました。

労働供給制約社会とは何か?

───まずは、先日古屋さんが発表された「労働供給制約社会」について、概要をお話いただけますでしょうか。

古屋 はい、私は現在、第1ウェーブが日本、第2ウェーブが韓国・イタリア、その次がドイツ・中国、さらに続いて他の欧州諸国が労働市場の転換点を迎えていくことを予測していて、これを「労働供給制約社会」と呼んでいます。
 労働市場においては、過去に「ルイスの転換点」というものがありました。産業が都市部に集積するときには、農村部から人口が流入することによって二次産業が成長し、それによって経済規模が大きくなるというのが基本的なモデルだったのですが、ルイスの転換点は、農村部の人口が枯渇した瞬間に成長スピードが低下するというものになります。
 そして、この次に人類が迎える人口動態の転換点として、これからの日本社会で生活の維持に必要な労働力を供給できなくなるということが起ころうとしています。私はそれを「令和の転換点」と呼んでいます。

───具体的にどのような状況に直面するのでしょうか。

古屋 先ほども申し上げたように、一番問題になるのが生活維持サービスです。例えば介護、医療、物流、建設、土木、対人関係のサービス、こういったものについては日本では既に著しい人手不足に直面しています。これがさらに悪化するとどうなるのか、間違いなく生活効率が低下してしまうでしょう。
 我々は誰かの労働に依存しないと本来ゴミ1つ捨てられません。ゴミを集める仕事をされている清掃員の方、それを運ぶトラック運転手の方、焼却炉の労働をされている方、そういった方々がいなければゴミを捨てるという基本的なことすらできなくなる可能性が出てくる。そういう意味において生活維持サービスの水準が低下していくフェーズが来るわけです。
 例えば日本にはいくつも除雪が必要な都市がありますが、この除雪の回数が1日に1回だったのが2日に1回になるという状況が今すでに起こりつつあります。バスの路線そのものがなくなってしまったり、本数が減ってしまったりというニュースを目にする機会も増えてきました。そういった形でサービス水準が低下していき、ある程度までは我慢できても、我慢できないことが起こる可能性があるわけです。例えば訪問介護の回数が、週5日必要だった方に対して、前日の夜や当日の朝の急な連絡で、行ける日数が減ってしまうかもしれません。
 我々はこの労働需給のシミュレーションも統計的なモデルを構築しておりまして、まさに介護職に関しては、2040年に必要な労働供給量に対しておおむね25%ほど足りないという結果が出ており、週2日くらい急な連絡で来れなくなるというような状況に直面する可能性が極めて高い。このシミュレーション結果から申し上げているのが「労働供給制約社会の危機」の部分ですね。

人間の活動や労働に対する考え方や価値観が変わる!?

───なぜこのような事態になるのでしょうか。

古屋 労働需給が2040年の段階で日本全体で1,100万人ほど足りないという推計値を出していますが、これは別に危機をあおることが主眼ではなくて、率直に数字を示して議論を促すことが目的です。
 過去の人手不足は景気が良いときに景気が良い業界で起こるというのが常識でしたが、今起こっている人手不足は景気、つまり労働の需要側が牽引するものではありません。労働の供給側が原因で起こっている構造的なもので、それゆえに少なくとも15年から20年はこの状態が続きます。
 そして、私がこれを「令和の転換点」と呼んでいる理由ですが、これまでのいろいろな常識が覆る瞬間になりつつあると思っています。
 まず1つの例が、企業経営における廉価な労働力を大量に確保できる時代が終わったということです。日本における低廉な労働力は、若者、非正規の女性、高齢者、技能実習生と、大きく4つのグループがありました。2010年代まではこうした低廉な労働力を用いた企業活動ができていたものの、労働供給が限界に来て、人手の取り合いになり、余力のある会社がどんどん賃金を上げる、休日を増やすといった、いわゆる人的資本への投下が起き始めています。
 企業の側から見れば投資をしないと生き残れない時代であり、社会的に見れば人と組織の関係が逆転しつつある転換点になっています。日本は横並びの意識が強いので、他の誰かが上げるとそれに一斉にならうケースが多い。労働供給制約を背景に今後継続的に賃金が上がる局面に入った可能性が高いです。

───これまでのお話で構造的な変化だということは理解できたのですが、なぜ2023年に急にこの問題が表面化してきたのでしょうか。

古屋 実は景気が良い・悪いに関係なく、人手が足りなくなってきたという状況は水面下で確実に起こっていたのです。個人的には2018年に日銀短観の景況感と人手不足感が乖離し始めたのが顕在化したきっかけだと考えています。
 採用したくても採用できないという状況は、2017〜2018年頃から続いていました。コロナで収まるかと思っていましたが収まらず、特に若手・技術者・DX人材など、特に足りない領域で顕在化している状況が全体的に広がってきたわけです。そのような状況下で、人が採用できないから分かりやすく賃上げを行う企業が増えて表面化したのが2023年だと思います。

───昨今はAIや機械化などで人の仕事が代替されるという話もよくあります。そちらが労働力不足を解消するということはないのでしょうか。

古屋 皆さん、そういった代替のお話をネガティブに捉えることが多いのですが、私はポジティブに考えています。教員や警察官、消防士、それに農家や介護、福祉、医療、物流、建設など、ちょっと考えただけでも労働力が圧倒的に足りていないわけです。いわゆる生活の維持に必要なサービスを担う方々の数が圧倒的に足りていない状況の中で、そこを補うために、むしろ技術代替をしなければなりません。でないと、この社会はもたないのです。ホワイトカラーであっても、自分の親が介護施設に入れませんでした、週5回の訪問介護を受けている方が週3回しか来られませんとなったら、仕事どころではないわけです。だから順序が逆で、ホワイトカラーの仕事がどうなるかの前に、生活維持サービスをどうするかというところが本来大切です。
 ホワイトカラーの仕事がAIによって削減されること自体、私はそんなに悪い影響はないと思っています。例えば建設現場や土木現場、中小企業の現場、介護福祉士さんの働き方をどう変えるかといった現場に入っていく最先端技術、技術代替こそが必要です。この技術×生活維持サービスの現場の領域に大きなビジネスチャンスがあると思っています。これを、私は「省力化産業」と呼んでいます。
 例えば物流にしても、もちろん自動運転などは良い技術ですが、実際にトラック運転手の仕事を分解していくと、もっとも負荷がかかっているのは荷下ろしや荷積みです。ここをロボットで代替するなど、現時点で要素技術が出ていない分野も含めて徹底的な自動化、機械化をしないといけないと思っています。
 いかにもホワイトカラーのような仕事がだんだん減っていって、徐々にコラボレーションしていく領域のほうに目が向いていく。ノンデスクワーカーとデスクワーカーの領域がファジーになっていく。自分の生活をどう豊かにするか、社会を豊かにする、生活を豊かにするために自分の知識とか経験をどう生かすかという発想が今後求められると思っています。

誰かのための活動が
労働を再編成する社会へ

───そういった観点で発信されているのが「ワーキッシュアクト」なんですね。

古屋 はい、ワーキッシュアクトとは「誰かのために機能しているかもしれない、作用しているかもしれない本業以外のさまざまな活動」のことを指します。workにboyish、girlishの「ish」をつけてworkしているような活動、という意味になるように作った私の造語です。
 ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、思想家ハンナ・アーレントという、ナチスドイツの迫害下を生き延びて、その後、その経験を踏まえて民主主義社会の人間のあり方を論議した私の尊敬する女性の哲学者がいるのですが、この方が『人間の条件』という主著の中で、人間の活動に対して3つの区分があると言っています。
 1つ目が労働、2つ目が仕事、3つ目が活動。
 ハンナ・アーレントいわく、1つ目の「労働」というのは生きるための行為のこと。つまり賃金労働だと言っているわけです。近代以降、賃金を稼がないと人は生きていけないので、これを労働と言っています。
 2つ目の「仕事」というのは、自分が生きている時代を超えて、時間を超えて自分の行為が社会に残る、世に残るような行為です。芸術作品を作ったり、さまざまな世の中にとって記念になるようなものを作ったりするなど、要するにクリエイティブのことです。
 3つ目が「活動」で、これは市民として社会のために何かをするという行為のことです。
 ハンナ・アーレントは、この3区分を挙げた上で、近代以降の人類社会というのは労働がほかの2つの行為を再構成するプロセスであると言っています。つまり、仕事や活動という領域が労働の一種として見做されてしまい、どんな芸術作品でも金銭換算されてしまいます。例えばボランティアでもコスパが良い・悪いといったモノサシで測られてしまいます。そういうふうに労働が人間の全行為の支配者である時代が近代社会だと言っているわけです。
 私は、このハンナ・アーレントの理論を受けた上で、令和の転換点以降の日本で起ころうとしているのは逆のプロセスなのではないかと思っています。誰かの何かを助ける、誰かに対していろいろな必要な働きをするというのは労働に限らず、いろいろな仕組みづくりがあるのかなと。例えば娯楽や趣味のようなものが、労働に転換できるかもしれない。そういうアイデアが今、日本の社会でいろいろな形で生まれているわけです。
 例えば、ジョギングをすることが趣味の人たちがちょっと派手なTシャツを着て走るという仕組みを作ったNPOがあって、ただそれだけで地域の見守り活動として警察官や自治体の仕事を助けています。やっていること自体はただのジョギングなのですが、ちょっとした仕組みづくりによって、誰かの労働を代替しているカタチになっています。
 また、スマホのゲームで「TEKKON」というアプリがあります。スマホの位置情報と写真、電柱を撮影すると位置情報とひも付けられてMAPに日本地図とどこの電柱がこういう状態ですというのがひも付けされて、それを見て電力会社の社員、プロの電気設備士などが優先順位をつけて点検していくというものです。本来ならば暑かろうが寒かろうが、プロが目視で1日に50〜60本点検していかないといけないのですが、現場の人手が全く足りていないので、その労働が代替されているわけです。しかし、アプリを使っている人にとっては労働ではなく娯楽なのです。そう考えたときに、今後の日本というのはあまりにも労働の担い手が足りなさすぎて、いろいろな発想で労働をとにかく楽しくしていかないと担い手が増えないのではないかと感じます。ですから必然的に労働が楽しくなっていく社会になっていくと思います。

プラットフォームや仕組みが必要

───労働というものの定義や考え方が変わっていく、ということですね。そのためには今後どんなことが必要になってくると思いますか。

古屋 プラットフォームだと思います。労働力不足を人の善意だけに頼って共助ベースで維持するのは不可能です。それには絶対にお互いの行為の対価をしっかりと還元するような仕組みが必要で、先ほどのアプリかもしれませんし、何か人と人とをつなぐようなプラットフォームかもしれません。あるいは、何か共通の対価のあり方かもしれません。

───なるほど。いわゆる今の日本円やドルベースの金銭価値ではないが、対価として見える化させる、流通させる、といったようなことでしょうか。

古屋 おっしゃる通り、プラットフォームを作ることによって社会的な価値をしっかりと可視化する必要があります。そうでなければ、何か社会のためにやらなくてはいけないといった、社会貢献のような話になった瞬間に破綻してしまうのではないでしょうか。共助もそうですし、例えばおもてなしもそうですが、そういう非常に情緒的な言葉が日本にはたくさんあります。しかし、誰かが犠牲になってないのか、それはサステナブルなのか、そういったものが本当に必要なのか、という観点が必要だと思います。

───おもてなしの概念は日本固有ですよね。労働供給制約社会というのが冒頭におっしゃっていたように他国でも同じことが起こるというのなら、最終的には労働力が他のどこからも取れなくなり、活動の対価をうまく流通させるプラットフォームを作ったところがうまくいくようになっていくのでしょうか。

古屋 それは地域別でということになると思います。地域特性があるわけで、例えば草刈りが必要というところがあれば、除雪が必要というところもあります。または子どもが多い、高齢者が多いなど、いろいろお住まいのエリアによって違いが出てくるのかなと思います。
 国際的に見ても、ファーストウェーブは日本で、セカンドウェーブは先ほど言ったドイツ、イタリア、中国、韓国。この根拠はシンプルに、高齢人口と現役世代人口の比率の問題になり、人口動態です。労働市場の観点で言うと、労働の消費だけをする方々の割合がどのくらいいますかということなのです。労働の消費量というのは、高齢者のほうが圧倒的に多くて、介護、医療、物流、この辺を考えると想像がつきやすいです。日々の生活物資のための物流、日々の移動にはドライバーがいないと行けない、介護、医療は言わずもがなです。そういった労働の消費量が圧倒的に多い方々の割合が、ファーストウェーブ、セカンドウェーブの国から始まって人類社会全体で高まっていきます。
 そうなったときに、日本の例というのは最初の例に過ぎなくて、我々が今直面している社会、特に地方が困っていることは、ほかでも同じことが起こる可能性が極めて高いと思います。そこに、人々の働き方の変革、労働というものの意味が再定義されるのは、有益なアドバイスになる可能性があると思います。
 例えば、先ほど挙げたTEKKONというアプリは、シリコンバレーに本社があるWhole Earth Foundationという会社が手掛けていて、アメリカとフィリピンとインドネシア、そして日本で展開しているのですが、データの集まり方は、日本が飛びぬけて多いのです。同じことをやっているけれど、水道管やマンホール、電柱など、そういうインフラの写真、画像データを集めると、ユーザー1人当たりの画像のデータ量が他国と比べて数十倍違うらしく、日本だけ飛び抜けて多いそうです。
 理由は明確で、電力会社や自治体といった使いたいプレーヤーがいるので、ユーザーに対してインセンティブが提供できるのです。その状態がほかの国にはない。その構造、システム、プラットフォームができつつある。なぜできつつあるかというのが大事で、労働供給制約だからです。シンプルに労働の需要が圧倒的に多く、供給が圧倒的に少ない。
 災害が多く、冬ごとに点検できない電柱が倒れて、停電がこれまで1日で復旧できていたのが3〜4週間になるという。現場は困り果てていて、このままではまずいわけですよ。ですからデータが切実に必要になって、いろいろな経済報酬を合わせたインセンティブが与えられるのならやりたいという人がたくさん出てきて、データが集まってくるというわけです。

───その辺りが、「労働供給制約社会の希望」の部分でしょうか。

古屋 まさにその通りです。”必要は発明の母”とよく言いますが、日本においてそういった最先端の技術が用いられてデータを集積するようになってきているのは、必要だからです。
 2040年までの日本というのは、労働供給制約という危機を迎えますけど、それを背景にした、ある種発明の時代になると思っています。日本だけでなくいろいろな国で開発された技術を、日本でどんどん試す。現時点では日本でしか試せないわけですから。新しい技術がどんどん持ち込まれて、それが人の生活を豊かにすることが実証されていく国になるのではないか思います。
 新しい技術や仕組みが社会実装される発明が生まれてくると、結構わくわくする社会になるのではないかと思います。よく「日本社会は変わらない」と言われますが、今後5年、10年で結構ドラスティックに変わっていくと思っています。なぜかと言うと、もう限界だからです。だから、これから特に生活維持に関する領域で、前例をくつがえす動きがたくさん出てくると思います。
 例えば、本来国家資格である保育士を、地域限定保育士として別の試験制度を設けるような動きはすでにニュースになっています。教育業界ではこれまでのような1人の担任の先生が1つのクラスを持つ、という形が成り立たなくなってきているので、複数人の先生が1つのクラスを曜日別に担当する、というような動きも出てきています。
 ネガティブな話に聞こえるかもしれませんが、「このままでは無理」という社会的な必要性、圧倒的な労働の需要がすべてを変えてしまう可能性がある。「前例がない」、「それ誰が責任を取るんだ」などと、もう言えない社会なのです。「そういうことをやると誰かが怒るぞ」といったような反論ができなくなるという労働需要の大波が来ていて、労働供給制約がすべての日本の前例を突破するのではないかと思っています。
 変な理屈をこねても、学校でしたらその学校に通う子どもたちをどうするのか、介護を受けているご老人が困っているのをどうするのか、スーパーに行けなくなっているのをどうするのか、そういうすべてのロジックが、今までの前例を変えていくことになります。
 これまでは「お客さまは神様です」という言葉がありましたが、これは昭和の遺物で、令和の転換点においては「働き手が神様です」ということになると思います。

───そういう意味では、労働力不足よりもむしろスキルアップやキャリアアップなどの文脈で語られやすい副業解禁なども大きな流れの1つなのでしょうか。

古屋 副業解禁は急速に広まっています。直接的には人材確保と定着、会社の中に閉じ込めてても不満がたまって辞めてしまうから、ガス抜きしようという発想だと思いますが、前提にあるのはそもそもの人材獲得の困難さにあります。
 もう1つの重要な観点としては、1人の人間がいろいろなところで楽しく活躍するという社会にするということかと思います。誰かにとって辛い単なる労働が、他の誰かにとっては気分転換や娯楽になる可能性があります。例えばうちの子が通っている保育園では、保護者が半日保育に参加してもいいという保育参加の日があって、もちろん保育士さんと全く同じことはできませんが、子どもと遊んだりすることはできるし、すごく楽しいわけです。
 介護でも「スケッター」というサービスがあり、専門職でなくても応募ができて、デスクワーカーの方が、たまに人としっかり話をしたい、誰かの人生をしっかり聞きたいというときに応募して、月2回、家の近くにある介護施設に行って、ご高齢の方と話をする。それだけで介護士さんはとても助かるわけです。忙しいときに話を聞いてくれと言われたら少し面倒くさいかもしれませんが、その人は話を聞いて頭を切り替えたいと思って来ているわけです。

───今サイトを見たらデイサービスのお手伝いでマージャン、将棋、囲碁ができる人を募集しています。日給2,000円です。それだけもらってマージャンや囲碁ができる、と捉えるか、通常の労働としてマージャン、将棋、囲碁をしてそれだけか、と捉えるかでずいぶん変わってきますね。そこに何かしらのマジックが潜んでいる気がします。

古屋 ハンナ・アーレントが唱える労働化された人類の発想で考えると、「それは搾取なのではないか」というふうになるのですが、本業でしっかりお金をもらいつつ本業以外でさまざまな「満足」のために活動することを搾取と捉えるのは人の可能性を矮小化していると感じます。現在、人間の労働時間というのはシュリンクしていく方向にあるので、本来的には可処分時間が増えているわけです。この時間を豊かな生活のためにどう使うかということは、もっと豊かな議論があっていいと思います。短い時間でしっかりお金を稼いで、空いた時間で何かいろいろなことをやるとすごく楽しい。世界の中で日本のライフスタイルということを人類社会のために還元していける道だと思います。

───非常におもしろいですね。効率で突き詰めていって、社会が進化した結果、結局労働力が足りなくなってきて、いくつかの点において百姓的な、あるいは多能工的な昔の生活に近いところに再び行き着くということですね。

古屋 基本的に人類社会の進化は専門化の歴史で、例えば服作りの例で言うと、遥か昔はまず狩りをして、次に皮をはいでなめして、干して、縫って、それをまた干してということを全部1人がやってきたのですが、これは当時の年間の労働時間のシェアで言うと、1着を作るために1か月丸々労働時間を使うというような状況で、1年間の中の12分の1くらいを使っていたらしいのです。これを所得に換算すると年間1,000万円稼いでいる人でいうと12分の1、80万円くらいの金銭価値を1着の服にかけていたことになるわけです。
 しかし現代では、3,000円で買える。専門化によってどんどん生活にかかるコストを下げて、それによって可処分時間を増やして、趣味や娯楽などさまざまに豊かな生活ができるようになってきました。これが人類の基本的な進化の方向性で、この方向自体は間違っていないと思っています。
 昔と違うのは、「やむを得ずやる」のではなく、自分の得意なことややりたいことをきちんと実現できることです。これを単に「自分のことは自分でしよう」ということにしてしまうと、80万円かけて1着の服を作って、それを10年着るという昔に戻ってしまいます。そうならないために多様な人の得意なこと・やりたいことがいろいろな場面でマッチングされるプラットフォームが必要なわけです。
 今後の日本社会は、そういうビジネスが必要とされていて、イノベーションが生まれやすい状況になっています。そして、個人はこれまでの働き方の常識を離れて、自分の得意なこと、やりたいこと、適性に基づいていろいろな活動ができるようになる。これから非常にエキサイティングな「働く」の時代が来ると思っています。

───本日はありがとうございました。

(Interviewer:山本 裕介 本誌編集委員)

古屋 星斗 (ふるや しょうと)
株式会社リクルート リクルートワークス研究所
主任研究員

2011年一橋大学大学院 社会学研究科総合社会科学専攻修了。同年、経済産業省に入省。産業人材政策、投資ファンド創設、福島の復興・避難者の生活支援、政府成長戦略策定に携わる。2017年より現職。労働市場について分析するとともに、若年人材研究を専門とし、次世代社会のキャリア形成を研究する。一般社団法人スクール・トゥ・ワーク代表理事。著書に、『ゆるい職場 若者の不安の知られざる理由』(中央公論新社)ほか。