INTERVIEW


社員と地域とオンリーワン技術が磨き上げる
製造業のブランディング

並木 里也子 氏
Orbray(オーブレー)株式会社 代表取締役社長

 オンリーワンの微細加工技術を武器に、秋田に根を張り、秋田から世界をうかがうOrbray株式会社。まったく畑違いの分野から三代目を受け継いだ並木里也子さんに、この間のインナー/アウター・ブランディング活動におけるユニークなコミュニケーションの取り組みについてお話を伺いました。

社員とともに築いた製造業としてのブランディング

───まず、並木さんの自己紹介と、御社が製造業としてはあまり取り組まれていないブランディングを始められた理由をお聞かせいただけますか。

並木 私は5年前に家業であるアダマンド並木精密宝石株式会社という、とても長い名前の会社に入社しました。長い社名は2社が合併して、そのまま両方をくっつけたわけです。それぞれにお客さまがいて、それぞれが深い内容を持った仕事をしているというのは重々承知していましたが、過去10年間の両社の業績は低迷が続いており、各々の独力では業績改善余地に限りがあると感じていました。ですので、社名変更を通じて両社の融合を加速し、各々の課題や不足点をお互いに補い合いながら、業績改善と事業成長を加速していこうと意図したわけです。

 私は外から来ていますので、1つの会社としてこの形は大丈夫かなと思い、初日に社名変更をしたいなと感じました。初めからブランディングというよりも、まずは社員に対して、1つの会社で同じ方向に向かっていくんだよと意識づけをしたいと思ったことがきっかけでした。結局、社名変更をするとなると、今度はブランディングとなってきますから、あとからそれを考えていったということになります。

───80年以上続いてきた会社で、社名変更となるとハレーションが起きませんでしたか。

並木 おっしゃるとおりです。そもそも、両社は長年の間各々独立して事業活動を行ってきましたから、双方間の競争意識・対抗意識も強かったんです。両者間の融合についても、先代の頃からさまざまに施策を行ってきましたがなかなか進みませんでした。また、弊社は典型的な日本の中小メーカーであり、現場の発言力が強く、いきなり私がトップダウンで現場へ指示しても、その通りに動くわけはありません。まずは、私自身が社員の皆さんから信頼される必要があると考え、社名変更を考えたときから約1年をかけて、国内に1,000名おります社員一人ひとりと丁寧にコミュニケーションを取らせていただきました。しかし当然ですが、最初はほとんどの社員が納得はできませんでした。ですので、なぜBtoBの中小企業のものづくり企業である私たちがブランディングをやる必要があるのか、未来に向けて必要なのか。その当時はコロナ禍でしたから、ビデオを作ったり、オンラインミーティングをやったりしました。同時に、個人面談のほか、バースデーカードを全員に手渡したりなど、インナーブランディングにかなり力を入れてやってきました。
 このような手間をかけたのは、私自身が先代、先々代のような強いリーダーシップを持ったカリスマ社長ではなく、それどころか、ビジネス経験も全くないところから入っています。もう一つには、幼児教育や野外活動教室などを20年も続けてきたバックグラウンドもあって、私が何か推し進めていくというよりも、やはり皆と一緒につくっていきたいという志向性があったからだと思います。

───企業ブランディングの中でも特に重要視している部分はありますか。

並木 社員と面談を始めたときにすぐに気がついたのが、自分がしている仕事一つひとつが世の中にどういう影響を与えているか、また、どのように評価されているかということを認識している人が全然いなかったんです。
 私は繊細なものづくりの現場を見て非常に感銘を受けていましたし、海外生活が長かったので、外国人目線で日本のものづくりのすごさに驚いていました。たとえば、レコードの針は髪の毛1本分の細さの先端の加工を人の手で行います。この作業を40年、45年している人もいます。「皆さん、すごいですね」と言っても、ただ目の前にあることを一生懸命やっているだけで、そのすごさに、価値に気づいていなかったので、まずは社員に向けてブランディングが必要だなと思いました。

───インナーブランディングについては現在も継続されているのですか。

並木 はい、社員への教育研修は熱心に行っています。実は私は、学校をつくりたいという夢がありまして、社会人になっても学び続けるリカレント教育も話題になっていますが、それを中小企業、ものづくり企業であっても社内でやりたいと思っていました。昨年、教育研修部をつくり、この4月に「Orbray Academy」を開講して、今何十本も研修のプログラムを内製化しているところです。一番力を入れているのが合宿スタイルの新人社員研修です。今年は35名の新人研修を秋田の新工場[TRAD]で1週間やりましたが、来年はもっと長くやってもらいたいという声も聞こえてきています。また、新人だけではなく、2年前からは全階層別に同時並行でやっています。最初は、部長職以上の方々から始めました。これも驚きだったんですが、皆、もちろん顔見知りではあるけれど、雑談したことがありませんでした。まずは雑談を交えつつ自分の考え方などを話すところから始めました。そんな感じの手探り状態だったのですが、初めは理解してもらうのが精一杯、何で研修をやっているのか、意味があるのか、などの声はたくさんもらってました。けれども、1年続けていったところで土台づくりができたかなと思いました。
 このような研修をやる、学びをすると効率もよくなるし、コミュニケーションもよくなるんですね。まずはそこを重視した研修からスタートしました。インナーブランディングができなければ外に発信できなかったんです。

「秋田」へのこだわり

───アウターへのブランディング活動としてはどのように進められましたか。

並木 社名変更を行う際にホームページは作りましたが、東京では一切広報活動を行っていません。一方で、秋田県内に特化して、2年前からブランディングを行いました。秋田県で700名が働いてくれてます。東京でやっても、いろいろな会社がある中で目立たない、逆に秋田ではやっている人はいないというところに目をつけました。そこでいかに目立つか、それがブランディングだなと思いました。
 そして、秋田でやったことですごく反響がありました。秋田では、新聞、テレビ、ラジオがまだ生きているんです。秋田魁新報は東北で1番古い歴史があり、秋田県内で圧倒的なシェアを占め、テレビ、ラジオに繋がっていました。まず、最初にローカルのラジオに出ました。それまでは、社名変更をするというのを社員が知らなかったんです。工場で働く人たちは社名変更に対して興味を持っていなかった。頑張ってホームページやビデオも作ったのに伝わっていないとショックを受けていました。ところが、小さなラジオ番組に出たところ、少しずつ反響が出始めたんです。親戚から聞かれた、美容院で声をかけられた。「あ、これだ」と思いました。それから、新聞社に出て、それがテレビ局につながり、どんどん取材が入るようになって、私が思っていた以上に、3か月くらいで秋田県でかなり多くの方にOrbrayの名前を知っていただくことができました。それによって、社員の方々も働くことに今まで以上に誇りを持ってもらえるようになったと感じています。
 学校での講演も積極的に行ってきました。初めは企業向けに行っていたのが、大学、高校、最後は中学でも実施しました。講演だけでなく、従業員のお子さんへの工場見学やサマーディスカバリーというイベントなども行っています。そうしましたら、地元の中学校で「地元で何か自慢できることは?」という授業があった中で、秋田ですから「温泉」といった声の中で「Orbray」と言った子がいたらしいんです。これを聞いて、確実にOrbrayムーブメントが起こったと、すごくうれしく思いましたね。祖父が企業誘致1号として出ていった湯沢(秋田県湯沢市:同社の工場所在地)からスタートしてきましたが、今までとは違った光り輝くものがあれば、そこに住む方々も周りの地域もさらに輝いていくことができると思っています。代々子どもを入れたくなるような会社にしたいというのが私の夢の1つですので、それを聞いたときにはちょっと感動しました。

オンリーワン技術の地層をつなぐ

───従業員や地域の方々が誇りに思うのは、御社のどのような部分だと考えていらっしゃいますか。

並木 私どものものづくりについてご説明しますね。最初は、電気メーター、水道メーターに使われている軸受け宝石を作っていました。もともとこれは金属でしたので摩耗しやすかったため、サファイア石がとって変わります。その細かな加工をすることが得意というのが私たちの礎になります。
 戦後は、時計の軸受け宝石を作っていました。今も高級な時計には私たちのルビー石が使われています。また、昔は腕時計は落とすと、ガラスが割れていました。割れにくいサファイアのガラス窓を作り、国内時計メーカーで発売したところ、世界中で大ヒットしました。レコード針は、髪の毛1本分の細さの針を複雑に加工します。マイクロリッジ針という、世界で私たちしか作れない針もあります。レコードカートリッジにマグネットとコイルが使われており、そこから小型モーターに派生しました。そして小型モーターは、ソニーのウォークマンの誕生にも貢献しました。
 しかし、こういうものは一切名前を出さなかったんです。創業者である祖父は私と真逆で、ブランディングはするなと言う。技術で勝負するパーツ屋であることにこだわっていたそうです。ただ、父の代になると少しずつブランディングを意識し始めました。世界中の技術者が小型のウォークマンに驚いて、分解したところ、そこにはNAMIKIの刻印が入った小型モーターがありました。ある日モトローラ社から用途は明かされませんでしたが、振動する小型モーターを作ってもらいたいと依頼がありました。そののち「世の中にはまだないものだが、病院の中などで連絡を取り合う通信機器用」とわかり、それがポケベルの始まりでした。その後、その振動モーターは携帯電話にも使用され、一時期は世界シェアの過半数を占めました。今皆さんがお使いのスマートフォーンのマナーモードの先駆けとなりました。
 また、どこのご家庭でも使用されているLED照明。LEDの光源は原子レベルで研磨されたサファイアの基板の上に作られます。当社のサファイア基板の研磨技術は世界的に評価されています。今、一番伸びている分野は医療ですし、生成AI需要増に伴いデータセンター向け光通信部品の需要も増加しています。中でも今、もっとも注目度があるのが人工ダイヤモンドですね。世界で最大口径の人工ダイヤモンドを作る技術の開発に成功しました。
 次世代通信の6G、7Gは、大電流を高速で制御するデバイスが必要とされ、そのためにはダイヤモンドが必要不可欠となってきます。既存の材料が壊れてしまう過酷環境で動作するデバイス、それを私たちは開発しています。さらに、まだ誰も入っていけていない領域、宇宙ですとか原子力発電所の中のセンサー、量子コンピューターなども視野に入れています。

世界初 2インチダイヤモンド
NAMIKI刻印入り小型モーター

───今、世界中で当たり前に使われている製品開発の土台の部分には、御社の技術の結晶が詰まっていることに驚きました。日本人として、このことはもっと沢山の人に伝えていきたいです。

並木 たとえば、携帯の振動モーターを私たちが作ったということは、今の若い社員の方も知らないです。日本人として誇りを持って世界に出て行ってもらいたいというのがあります。私どもは、「世の中にないものを生み出す」ことが得意です。私たちにしかできないオンリーワンの技術があるというのが長年お客さまから信頼関係を結ばせていただいているというところになります。オンリーワンの技術にこだわりを持って84年続いてきた私たちの本物の技術がなければ伝えられません。伝えても薄っぺらになるからです。

───今はベンチャー企業が大きくなっている時代でもあると思うのですが一方で、何十年と積み重ねてきた技術を継承しつつ続けることがすごく大事だと感じました。

秋田から世界へはばたく挑戦者として

───最後に、今後の挑戦についてお聞かせいただけますか。

並木 少し具体的なところからお話ししますと、2年後には本社の住所を秋田に移します。私も来年、子どもを連れて移住します。これは、県知事も非常にびっくりされていたことで、前代未聞だとおっしゃっていました。私は、これだ!と思ったんです。やはり前例のないことをやれば目立ちますから。本社の移転登記を行えば注目を集められる。そこで仕掛けるのは“秋田から世界へ”というグローバルなメッセージです。さらに、IPO(新規株式公開)も5年後に計画しています。これは採用にとっても、秋田県自体にとっても意義のあることだと思います。
 もう少し広い意味での挑戦としては、会社の規模をもう少し大きくしながら、東北から世界にものづくりを発信していきたいという想いがあります。父とは夢物語としてよく話していたのですが、16年後、私たちの100周年のときには、売上高800億という今の倍の目標も出ています。実は、Orbrayという社名に込めた意味とも関係してくるんです。「orb」には地球、天体という意味があります。「ray」は文字通り光です。会社も地域も継続する一つの生命体だと思うんですね。その中にいる一人一人が輝くことでよいものづくりもできるし、よい光の道もできていって、光輝かせることができる。今は社内に向けて光を強くすることに集中してきましたが、これからは、地域からの期待度、県からの期待度もありますから、もう少しその光を広げていって、私たち自身が中心となって光輝くことで周りも照らしていきたい。それが広がっていって、日本の製造業全体がもっと横につながって、みんなで一丸となって世界に向けていくことが必要だと思います。そして、地域のリーディングカンパニーから、世界のリーディングカンパニーを目指すことを目標にしています。

───すばらしいお話をありがとうございました。

(Interviewer:吉田 けえな 本誌編集委員)

工場社屋Orbray [TRAD] 2023年8月から稼働
社屋内のカフェ 昼は食堂として利用。

並木 里也子 (なみき りやこ)氏
Orbray株式会社 代表取締役社長

1998年、スノーボード全日本選手権で優勝、1999~2003年は、ワールドカップに参戦し世界中を転戦したアスリート。大学では教育学を専攻、競技引退後はスポーツを通して成長した自らの体験に基づき、子どもへの教育やESG、SDGs推進活動などボランティア活動に携わる。2020年5月に家業であるアダマンド並木精密宝石株式会社に入社、2021年3月に同社代表取締役社長に就任。究極の半導体といわれるダイヤモンド半導体(大口径ダイヤモンド開発)の研究で世界をリード、光通信、工業用宝石、精密機器、小型モーター、医療装置の分野でも他社の追随を許さない製品・部品群を持つOrbrayの連続的技術革新を、事業担当の和田統副社長と協力し、産官学共同の研究・開発へ積極的に参加して牽引する一方、従業員の幸せを最優先する経営を目指す。

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