特集


米国ライフサイエンスのベンチャークリエーション


〜モデルナと米ベンチャーキャピタルの事例〜

by 本荘 修二

Column

 本コラムは、小栁智義教授への取材、並びに教授のパートナーであるDevang Thakor博士(シリコンバレー本拠のバイオテクノロジーの専門家)からの情報提供を元に、編集委員・本荘修二が追加調査とともにまとめた。

新型コロナのワクチンで、いまや知らない人がいない米モデルナ社ですが、いわゆる大学発ベンチャー企業です。このバイオテックの大成功企業は、どのようにして生まれ、育ったのでしょう。

注:本稿では$B=10億ドル、$M=100万ドルの単位を示す。

モデルナ(Moderna, Inc.)

 mRNA を研究するDerrick Rossiハーバードメディカルスクール助教が、ハーバード大学の(既に成功した起業家でもある)Timothy Springer教授にスタートアップ起業への投資を相談し、これに(100人を超える研究室を率いるMIT教授、起業への参画経験多数の)Bob Langer博士、ベンチャースタジオのフラッグシップ(後にFlagship Pioneeringとなる)らが加わる。Langer教授はiPS細胞へのmRNAの適用を指摘したが、フラッグシップは他の用途の可能性もあると考えて数か月フラッグシップとそのラボで検討し、2010年に共同創業された。
 2012-18年に計$1.7B(約2千億円)を資金調達し、2018年に株式上場(バイオテックのIPOでは史上最大の企業価値$7.6B)、2022年9月1日現在$52B(7兆円超)の時価総額。新型コロナワクチンに限らず、様々なワクチンを含む15種程の用途で臨床試験中。

 日本での事業創造との違いは何でしょうか。
 大学の研究者が論文などのアカデミアの域を超えて起業するのは日本ではそう多くありませんが、米国では起業経験も金もネットワークもある大学教員が数多くいます。また、大学間の壁を超えてつながり、活動しています。例えばボストンやサンフランシスコ・ベイエリア(シリコンバレー)では、このようにスタートアップ・エコシステムが充実しています。
 ここまでは、従来よく言われてきたことですが、モデルナでは、元の研究者の考えでもなく、経験ある有名教授の案でもなく、多様なアイデアについてベンチャーキャピタルのラボでサイエンティストを投入して用途の可能性を集中検討したことが特筆されます。
 日本では、優れたサイエンスでもそれを製品として生かせる市場性ある用途に結びついておらず、残念な結果に終わることが多いと言われています。米国でも、数あるスタートアップの中からわずかな成功企業が出てくることを期待して投資するのは限界がある、とも言われています。
 そこで、初期に可能性を検討し、ラボでの仮説検証を経て、機会の特定ができたらシード投資で会社化するといったステップを踏んで育成するプロセスを、フラッグシップはモデルナに適用したわけです。
 今世紀に入って、ライフサイエンス界のベンチャーキャピタルでは、多産多死のスタートアップに選別投資する従来のスタイルから、様々な工夫や試みがされてきました。その一つが「ベンチャークリエーション」です。成功確率が低いスタートアップにたくさん弾を打つ従来のやり方を超えて、それぞれのサイエンスの種から、ベンチャーキャピタル自ら、ラボでビジネスの成果に結びつくものを見出そうと取り組みます。一つのサイエンスに対して一つの用途を追求するのでなく、サイエンティストを投入していくつかの製品や治療法の可能性を探り、有望なものを投資育成するアプローチです。こうした「ベンチャークリエーション」型のベンチャーキャピタルのうち10社は、すでに1〜数千億円のファンドを作って注目されています(図表1)。

 この中で最もファンド規模が大きく、モデルナなどの成功例があるフラッグシップを、そのベンチャークリエーションのやり方とともに、簡単に紹介します(図表2)。

フラッグシップ・パイオニアリング(Flagship Pioneering)

・バイオテック分野で連続起業したNoubar Afeyanらが2010年に米ケンブリッジで創業。スタートアップ100社以上を共同創業し、投資先の企業価値は計$90B以上。
・「Institutionalized Entrepreneurship」(仕組み化されたアントレプレナーシップ):ヒューマン・ヘルスとサステイナビリティにフォーカスし、イノベーションのための能力と社を起こす人材・成長させる人材、そして資本を一つに集結させる、ことを標榜。
・ファンドIV(2012年設立)は2018年末現在IRR51.9%
・ファンドVII(2021年7月設立)$3.37B、ファンド総額$6.7B(運用資産$14.1B)

①Explorations=仮説構築のための探索:アカデミア、スタートアップ、大企業とアイデアを議論し、質量共に豊なフィードバックを得る(ラボでの作業はなし)。年80~100の仮説を作る。
②ProtoCo=鍵となる実験を行うプロトタイプ会社(6~12か月間):有望な仮説から年8〜10社を作リ、各$1-2Mを投じる。2~3人チームで創設し、専門家3~4人を加え、ラボでの実験により仮説を検証し、IP化する。失敗を奨励。
③NewCo=新会社:フラッグシップのメンバーがリーダーとなる。探索チームは継続。サイエンスのリーダーと、50~60人のスタッフを加える。フラッグシップから$25M以上を追加投資。年6〜8社。
④GrowthCo=正式なローンチ:外部からCEOを招聘し、社外取締役を含むボードを編成。戦略の実行と新たなイノベーションの両方を。フラッグシップから自立。年6〜7社。

 このように、スタートアップあるいは起業前のサイエンティストの仮説をそのまま受け入れるわけではなく、まず徹底的に可能性や課題を検討して仮説を作り、自らのラボとサイエンティストを使って仮説を検証して後、本格的に資金を投じ、自ら体制づくりをするという、いわゆるハンズオンを超えたベンチャークリエーションを実施しています。同社のサイエンティストは、常時30人以上の採用募集をし、総員三桁に上り、中堅製薬会社クラスの規模と言われています。
 なお、日本の大企業と研究者が関係したベンチャークリエーションも既にあります。図表1のVersant Venture Management(ヴァーサント)とFCDI(フジフイルム・セルラー・ダイナミクス)が、中内啓光教授が東京大学からスタンフォード大学に移って開発したiPS細胞技術を活用して、センチュリー社(Century Therapeutics)を、2018年に創設。2019年にドイツの製薬大手バイエルが$215M、ヴァーサントとFCDIが$35Mを投資。さらに2021年に$160Mを調達。

注: iPS細胞を製造しドラッグ・ディスカバリーなどを支援する米Cellular Dynamics Internationalを、2015年に富士フィルムが$307Mで買収し、FCDIとなった。

センチュリーは、2021年に$1.1Bの企業価値で米NASDAQに上場(なお、IPO直後の持分は、ヴァーサント 24.7%、FCDI 12.7%、バイエル 21.8%であり、FCDIは戦略的な意義とともにキャピタルゲイン(含み益)も得られた)。またセンチュリーは2022年に、ブリストルマイヤーズスクイブが$150Mを支払う(加えて$3Bとロイヤリティの可能性がある)共同研究契約を締結し、これからが楽しみな状況です。
このように、ベンチャーキャピタルは、サイエンスの可能性を仮説検証するだけでなく、戦略的パートナーを早期に連携させ、プロデューサー的な価値を発揮しています。