第28回
今こそ求められる
世界ブランド作り

大坪檀のマーケティング見・聞・録

戦後まもなくしてアメリカの大学に留学した。今から60年以上の前の日本は戦後復興に明け暮れていたときで、米軍が日本に駐留し、産業界は空爆で破壊された工場、時代遅れの設備・技術と労働争議、貧困なインフラ、疲弊した社会制度の中で遮二無二頑張っている時代だった。

 多くの経営者は自信喪失、米国企業の力にインフェリオリティーコンプレックス(劣等感)を感じていた。学ぶこと、見ること、聞くことすべて先進的、有意義に見えた時代だったが、学べば学ぶほど、見れば見るほど日本の未来は不安ばかり。
 こんなあるとき、当時アメリカ経営学の大物教授H.クーンツ先生(世界的な経営学の教科書となった『経営管理の原則』の著者。日本でも出版されている)の研究室でこんな日本の状況をつぶやいたら、そこに居合わせた経営学者の数人が目を輝かして口にした言葉。「日本は小国なのに世界の大国ロシアと戦い勝利した。日清戦争では同じく中国に勝った、アメリカと戦いアメリカを困らせた。こんな国はどこにもない。ゼロ戦と戦艦大和を製造した国だ。遠からずしてまた世界の列強に伍するようになる」、「日本は工場も技術もすべて失った。すべて新しい工場、設備、技術でスタートアップできる。アメリカには古い工場、設備、技術、システムが残りこれを活用することになる。ものづくりの分野ではいつか日本がアメリカを追い抜く時期が来る。戦争でアメリカは日本人の培った高い素養、能力を破壊することはできなかった。日本は新工場、新設備、新技術を獲得し世界市場に躍り出る。世界一になるとそれを追い越すところが必ず出現する。日本もいつかそうなる可能性は十分あるよ」。
 戦後の日本人は熱気を持って世界中を飛び回り学びに学んだ。産業界からは毎月何組かの視察団が欧米の先進企業を訪問、先端のビジネス情報、技術情報を収集した。マーケティングの考えもアメリカから学んだ。日本では流通革命などの言葉が誕生した。学び入れた自販機は日本で大発展し、1964年東京オリンピックで訪れた外国人がびっくりした。このオリンピックを機にコンビニ等さまざまなコトやモノが誕生・発展・普及した。
 まさかと思ったがその後の日本企業の力は一変。多くの日本企業の力は世界的なレベルに達してしまった。アメリカでは「GMに良いことはアメリカに良いことだ」と言われた時代があった。そのアメリカでトヨタや日産、ホンダの評価は高い。ソニーをはじめ日本ブランドが世界経済の中で目につく。日本の経営が注目された。コロナ禍の中でオリンピックを開催。2025年には大阪で万博が開催される。
 これまでの日本産業には欧米に追いつくキャッチアップ戦略を基本に、日本人の得意とする改善・改良のアプローチで換骨奪胎、和魂洋才で高品質、高機能のものを多数作り出し、世界市場に躍り出たものが少なくない。H.クーンツ先生の研究室での予言めいた発言は当たらずとも遠からずのように展開した。アメリカをはじめ多くの国に進出し、企業の中には海外での活動に企業収入を大きく依存するグローバル産業が多数出現、貿易収支は赤字でも、国際収支は黒字、海外資産の保有高は世界のトップになった。2021年末の海外純資産は400兆円で世界最大の純資産国でなんとこれが31年も続いている。
 しかし、最近の日本の経済界に対する論調は芳しくない。国民の所得は伸びない、所得格差は大きくなるばかり、財政はずっと大赤字、デフレ基調で成長率は鈍化。経済活動は停滞気味、日本社会には無力感と閉塞感が漂うと嘆く。この日本になんとなくゆでガエルの国の感じがする。政府はシリコンバレーに3,000人のスタートアップ研修生を送り込むと言い出した。なぜこんなことになったのか。それはこのところ産業人の多くは大きな目標設定を忘れたから。大局を見ず、目先の小さなことの解決に励んだ。コロナ禍がこれを促進した。マーケターの多くの活動もとにかく目先の問題解決に向けられた。
 戦後の日本がH.クーンツ先生の予言めいた発言通りになったのは、多くの起業家が大きな目標を立て的確な戦略を展開、それを追求してトップに躍り出たから。コロナ後、ウクライナ戦争後の世界は大変動、大変化の時代だ。企業は新戦略を練り再び躍り出るチャンスをつかめる。日本マーケティング協会の藤重会長は本誌8号で「世界ナンバーワンを目指せ」と檄を飛ばし、「日本の企業に最も求められているのは世界ナンバーワンのブランドを作ることだ」と強調している。今や日本のマーケターにはこの世界ブランド作りの視点を念頭にした新しい活動が求められる。

Text  大坪 檀
静岡産業大学総合研究所 所長